嵐の活動休止会見を見て物事の区切りの付け方について考える
芸能界のみに限らず、日本全体に衝撃を与えた嵐活動休止のニュース。
記者会見を終え、関連ニュースも出きったころでしょうか。
最初のインパクトはとても大きなものでしたが、
国民的グループの一大事にしては、
「#大野くんの夏休み」なんてタグも出回るほど、
穏やかに受け止められたのではと思います。
ファンクラブにて発表をしたのち、メンバー全員で行われた会見。
事の発端、各メンバーの気持ち、これからについて・・
ファンや視聴者の疑問を十分に解消し、かつその事実を知った上でコンサートの申し込みをしてほしい、という、なんともファン思いなタイミング。
決して建前ではないであろう数々の心のこもった言葉・・・
それぞれがショックを和らげましたね。
私も、みていてなんだか清々しいというか・・・
特別なファンではないのに、応援したくなりました。
なのに。
なんでしょうこの切なさは。モヤモヤは。
嵐の会見は良かった。
ファン思いだ。
改めて仲の良さを確認した。
あまりにも完璧な「区切り」の発表を見せつけられたおかげで、色々な感情がぐるぐると駆け巡ります。。
今回は深く書きませんが。多分同じように思っている方、多いのでは?
いや、嵐に対してではなく。
深く書きませんが。
ともかく「区切り」「終わり」の重要さを痛いほど感じてます。
私個人としても、区切りをちゃんとつけられたこともあれば、逃げるように終えたこともあり、いかにうまく幕を引けるか、悩んできました。
本当に、難しいもんです。
自分なりにまとめてみました。
- 「終わり」を決めた本人の内面的な気持ち
その決断に迷いがないか。なぜその決断に至ったのか過程も含めて説明できる。
目的がはっきりしていて、それに向かって動いていれば、理路整然と説明できると思います。
嵐は個人的にはみんな迷いもなく、清々しい、決して暗い表情のない会見でしたよね。
個々の気持ち、表情もそうですが、グループということで、5人の気持ちを統率した(と、迷わず説明できる)ところが大きなことだったかと。
- 周りや他人に知らせる「周知」
これ、人によって差ができるっていうか・・・あんまり気にしない人もいますかね。
組織に所属していて、そこから離れるような場合であれば、非常にデリケートな問題になりますよね。
決断を、誰に、どのように、伝えるのか。誰から伝えるのか。
おそらく、事務所とも相当に話し合いが持たれたかと思います。
関係者、事務所もそうですが、対外的に発表するものどのような手順になるのか、とても計画的な動きだったなあと。
実はこれがとても難しい。人ってのは悪気なく喋っちゃうもんですからね。
私は割と決意が固まってからじっくりと話をしたいタイプで、ふいに広まることを避けたかった私としては、情報管理は大きなことだと思います。
- 物事の引き継ぎや実際にことを終わらせる「作業」
嵐の場合はこれがここからですが。
各種テレビ番組、ファンと直接会うコンサート・・・機会は十分に持たせてもらえるとみて間違いないでしょうね。
1つ目と2つ目がうまいことできていれば、あとは個人の気持ちってこともあるのかな。
仕掛の案件を渡す場合は、あとの人が気持ちよくできるよう、できる限りのことをしておくべきだし、実際に感謝を伝えたり、自分がやり残しがないように日々を大事に過ごしていく・・・って感じでしょうか。
「終わり」や「区切り」は現場からの変化を求めて初めて起きることかと思うので、ポジティブな「区切り」「終わり」ばかりではないと思います。
でも、「終わり」「区切り」を決めたということは、新たなスタートでもあるわけで。
できるだけマイナス面を少なくできたら、新たなスタートにも良い影響がきっとある。
重要です、とても。
あーあ、私も何事にも良い「区切り」をつけたいもんだ。
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